四つ葉cafe 福田貴一 中学受験をお考えの小学生3・4年生のお子様をお持ちの保護者の方のためのブログ

『感動のメカニズム』

2015.07.10

皆様は、最近感動したことはありますか。なかなか難しい質問ですよね。特に大人になると、感動することが少なくなった気がします。


ところで「感動」とはなんでしょう。国語の授業で、詩や短歌・俳句を教えるときに、「感動の中心をとらえなさい」という教え方をすることがあります。きれいな風景を見て感動したときに写真を撮るのと同じように、何か大きな感動を体験し、そのことを残しておきたい、もしくは誰かに伝えたいと考えたときに、言葉を使って表現するのが、詩であり、短歌・俳句だと指導するわけです。そして、作者が何に一番感動したのかを正確にとらえることができれば、きちんと読み取れたということになるのです。


少し話がずれてしまいましたが、感動というのは、大きな心の動きと考えることができます。きれいな景色を見れば「きれいだな」と思うわけですが、それがある一定以上の「大きさ」になれば、「感動」に変化します。「おいしい」「楽しい」「うれしい」という気持ちも、それが大きくなれば「感動」につながります。一方で、プラスの心情だけではなくマイナスの心情も、大きな意味では「感動」と言えるのです。齋藤茂吉の『赤光』という歌集に収録されている「死にたまふ母」というシリーズの短歌は、よく中学入試のテキストにも取り上げられているものですが、母親の死に面した「大きな悲しみ」が感動の中心となっているわけです。


さて、同じ景色を見ても、感動という状態までいくこともあれば、そこまでいかないこともあるのはなぜでしょうか。私は、感動するためには、「心の準備」のようなものが必要だと考えています。


ここで、私自身が感動した体験を二つ書かせていただきます。一つ目が、ドイツの有名なお城であるノイシュヴァンシュタイン城を見に行ったときの話です。このお城は、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったと言われているので、ご存じの方も多いことでしょう。あまりの美しさに「感動」しました。もう何十年も昔のことですが、そのときの「印象」「感動」は今でも覚えています。確かにそれだけ美しい景色であったのですが、「日本から離れて異国で見た」という一種の非日常感、そして「ずっと行ってみたい」と思っていたこと、それらが相まって大きな心の動きになったのだと考えています。


もうひとつは、私自身が四谷大塚に通っていたときの話です。テスト(いまでいうYTテストですが、当時は日曜テストと呼ばれていました)にとても難しい問題が出題されました。それは図形の面積を求める問題だったのですが、「こんなのどうやって解くんだ!?」と、テスト中ずっと頭を抱えながら考えていました。その解説授業を受けたとき、本当に目からうろこのような状態で、言葉も出ないほど「感動」しました。言葉にしてしまえば、「すごい!」「なるほど!」「わかった!」というような表現になるのですが、それはまさしく「感動」だったのです。いまでもその問題を覚えていますし、解説授業で先生が言った言葉も鮮明に記憶に残っています。たぶんそれは、本気で真剣に悩んだからこそ生まれてきた心の動きだったのでしょう。普通に教わっただけでは、感動することはなかったと思います。「なんだこの問題は!?見たことないぞ!」「でもテストだから絶対に解いてやる!」、そんな心的状態が一気に解決したときの「感動」だったと思うのです。


もうすぐやってくる「夏」。お子様にとっては、さまざまな体験ができる季節です。たくさんの「感動」がお子様を成長させます。私も教室で勉強における感動を体験させたいと考えています。さらには、夏期合宿の場でも大きな感動を与えたいと...。ご家庭でも感動につながるような体験をぜひさせてあげてください。


同じテーマの最新記事

2017.07.07 『この夏を成功させる5つの方法 ~第2回クローバーセミナーより~』
2017.07.05 『夏をなめるな。』
2017.06.30 「国語の学習に関して③ ~記述力・表現力~」
2017.06.28 「国語の学習に関して② ~読解力とは~」
資料請求はこちら